バレエの歴史を勉強しようとすると…
「イタリアで生まれ、フランスで花開き、ロシアで成熟した」
「イタリアで生まれ、フランスで育ち、ロシアで成人した」
という言葉をよく見かけると思います。
では実際どうなのでしょうか??
今回は、このバレエの大まかな歴史
イタリアで生まれ、フランスで花開き、ロシアで成熟したバレエ
について簡潔に説明していきます♪
イタリアで生まれ、フランスで花開き、ロシアで成熟したバレエ
まず、簡単に分かりやすくまとめると…こんな感じです↓
では、詳しく見ていきましょう。
【15~16世紀】イタリア・ルネサンス期の「宮廷舞踊」を起源として生まれたバレエ
「バレエはイタリアで生まれた」とよく言われていますが、正しく言い換えるとすれば、
「バレエはイタリア・ルネサンス期の”宮廷舞踊”を起源として生まれた」
という表現が適切かと思います。
当時「バレエ」という言葉は誕生しておらず、
主に社交術であった「宮廷舞踊」が、カトリーヌ・ド・メディシスによりフランスに伝わったことによって
「バレエ」という単語が初めて使われたと言われています。
※ちなみに、この時代の日本と言えば…室町時代です。フランシスコ・ザビエルによるキリスト教伝来や、織田信長が生まれた時代に、バレエも生まれ始めていたのですね!
↓16世紀後半のバレエの様子
<a href=”https://en.wikipedia.org/wiki/en:Jacques_Patin” class=”extiw” title=”w:en:Jacques Patin”><span title=”French illustrator and engraver”>Jacques Patin</span></a> – <a rel=”nofollow” class=”external free” href=”http://www.gutenberg.org/files/10940/10940-h/images/fig398.png”>http://www.gutenberg.org/files/10940/10940-h/images/fig398.png</a>
Figure 398 in Paul Lacroix, aka Bibliophile Jacob (1874). <a rel=”nofollow” class=”external text” href=”https://www.gutenberg.org/ebooks/10940″>Manners, Customs, and Dress During the Middle Ages and During the Renaissance Period</a>, available freely at <a href=”https://en.wikipedia.org/wiki/Project_Gutenberg” class=”extiw” title=”w:Project Gutenberg”>Project Gutenberg</a>.
Original engraving printed by Ballard as ‘Figure de la Salle’ in Balet comique de la Royne, faict aux nopces de Monsieur le Duc de Joyeuse & madamoyselle de Vaudemont sa sœur. Par Baltasar de Beaujoyeulx, valet de chambre du Roy, & de la Royne sa mere, 1582. <a rel=”nofollow” class=”external text” href=”http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b86083002/f31.image.r=.langEN”>Page 4 recto (unpaged)</a> at Gallica., パブリック・ドメイン, リンクによる
【19世紀初め】フランスで「ロマンティック・バレエの時代」として花開くバレエ
16世紀、主に社交術であった「宮廷舞踊」がフランスに伝わり、
現在で言う「宮廷バレエ」が誕生しました。
17世紀、ルイ14世の時代にバレエは体系化されましたが、
当時のバレエは、男性ダンサーがメインで、女性ダンサーの活躍は少なかったそうです。
その後、19世紀初め、マリー・タリオーニなどが活躍した「ロマンティック・バレエ」によりバレエは花開き、
この時代にトゥシューズも生まれ、ポアントで立つ技術も誕生しました。
そして、ロマンティック・バレエの始まりとも言える『ラ・シルフィード』からも想像できるように、
ロマンティック・バレエは、女性ダンサー優位の時代となりました。
↓ロマンティック・バレエの時代に活躍したダンサー【マリー・タリオーニ】
Alfred Edward Chalon (1780–1860) (artist)
Lane, Richard James (A.R.A.) (1800–1872) (lithographer)
J. Dickinson (publisher) – このファイルの派生元: <a href=”//commons.wikimedia.org/wiki/File:Marie_Taglioni_in_Zephire_et_Flore.jpg” title=”File:Marie Taglioni in Zephire et Flore.jpg”>Marie Taglioni in Zephire et Flore.jpg</a>: <a href=”//commons.wikimedia.org/wiki/File:Marie_Taglioni_in_Zephire_et_Flore.jpg” class=”image”></a>, パブリック・ドメイン, リンクによる
19世紀後半、ロシアで「クラシック・バレエの時代」として成熟するバレエ
女性ダンサー優位であったロマンティック・バレエ時代の影響により、
男性ダンサーの活躍する機会は減り、多くのダンサーがロシアやヨーロッパ諸国に活動の拠点を移していくことになりました。
そして、3大バレエの振付家マリウス・プティパもロシアに渡り、
19世紀後半「クラシック・バレエ」が誕生し、バレエは成熟しました。
↓20世紀初めに活躍したダンサー【アンナ・パブロワ】
Bain News Service publisher – この image はアメリカ合衆国議会図書館<a href=”//commons.wikimedia.org/wiki/Library_of_Congress” title=”Library of Congress”>Library of Congress</a>の{{{division_name}}}
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まとめ
バレエの歴史を大まかに適切に表現するとすれば、「イタリアでバレエの起源となる”宮廷舞踊”が生まれ、フランスでバレエとして花開き、ロシアで成熟した」
【次に読みたい】 なぜイタリアからフランスに宮廷舞踊(後の宮廷バレエ)が伝わった?
バレエの大まかな歴史を適切に表現するとすれば、
「イタリアでバレエの起源となる”宮廷舞踊”が生まれ、フランスでバレエとして花開き、ロシアで成熟した」
であるとご紹介しました。
では、その「宮廷舞踊」はどのようにしてイタリアからフランスに伝わったのでしょうか?
次回は、なぜイタリアからフランスに「宮廷舞踊」が伝わったのかをご紹介していきます。